「身体が示してくれている」 ひとの身体と関わりつづけてきて感じたこと。

私の仕事は、個人を対象とした『ボディケアセッション』と『宿泊滞在型ボディワークセッション』を主な活動としています。どちらの関わりでも、本人が、身体とコミュニケーションを重ねること、身体にとって「いい」と感じるところを手がかりにアプローチしていくことを大切にしています。

運動の経験や好き嫌いにかかわらず、何かをしたとき(仮に運動)、身体には何かしらの反応が訪れていますが、意識してみないと素通りしてしまうことがほとんどです。セッションではその反応を一緒に観ていきます。感覚というのは「主観」なので、外からは評価することのできないものです。なので「正しさ」のような良し悪しで判断をせず、あくまでも本人の身体において「どう感じているか」を大切に、良くない感じがすればそのアプローチは一旦止めて、次のアプローチを試みます。

「これは続けられそう」とか「身体が楽になる」など、いい感覚が残るものを日常に持ち帰ってもらい、日常とのバランスを見ていくと、自然と、自分の身体に合ったペースややり方がわかってくるものです。

過去の環境や経験、今の生活や仕事など、一人ひとり経験していることは違うのは当然です。悩みの種類や大きさは比べられるものではないし、もっているエネルギーも体力も、生活環境の制約や身体と向き合うための時間の確保など、皆一緒ということはないので、進むスピードも、得られる感触も本来であれば違ったものになるはずなんです。

人の身体の構造(目が二つある、口があるなど)は一緒でも、一人ひとりが直面している身体の悩みは、単純な因果で説明・解決できるものではなく複雑な絡み合いの中で生じています。

「いくら身体に『良い』とされていることだとしても、本人の身体にとって『いい』と感じていないことを続けて、果たして身体はよくなるのだろうか」

私自身、そんな疑問を何年か前から抱いていました。

その頃から、身体に関する書籍の中で気になる著者には会いにいき、体験できる場であれば自分自身で経験することを繰り返していました。それまではどちらかというと西洋をバックボーンとした情報に触れていることが多く、リハビリやトレーニング、ストレッチなどの多くがそうでした。

新たに取り入れていった知識や体験はヨガや武術など。ヨガも西洋的なものではなく、伝統的なハタ・ヨーガをしているところへ足を運び、今でも毎週のように通っています。武術は合気道を1年半くらい続けたあとに辞め、今は韓氏意拳(中国拳法)を月1回くらいの頻度で稽古に参加しています。

書物などのインプットと実際に体験してみてどう感じるのか、これらを繰り返すうちに自然と身体の様子も捉え方も変わり、それと同時に、目の前にいるクライアントの身体に現れている悩みや症状の見方も変わっていったのが、ここ数年の出来事です。

それまでと今の大きな違いは、「その人の感覚に任せていい」という手応えを得られたことです。言葉になる前の感覚や言葉にできない感覚、言葉にできたとしても他者に理解してもらえるかどうかの不安など、身体の中には何層にも重なるものがあり、表面に出ているものは本人の一部に過ぎません。

「自分の身体とコミュニケートする」というのは、その時々の自分と向き合い、現実とどう折り合いをつけて進んでいくのか、を決めていくことなのかもしれません。答えのないアプローチゆえに分からないことも多いですが、何か惹かれることがあれば「個人セッション」でも「宿泊滞在型ボディワークセッション」でもご一緒しましょう。